Shorinji-ryu Karate-Do Renshinkan Fukuoka |
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昭和30年11月 | 鹿児島市高麗町に最初の錬心舘道場を開設 全日本少林寺流空手道連盟を結成 |
昭和35年 1月 | 沖縄地区本部(全空連)の結成会が北谷村の島袋道場で行われる。 宗家 保 勇 はその産婆役として型中心の沖縄空手界に組手試合を促進して新風を吹き込む |
昭和35年 3月 | 福岡県警体育舘に於ける各派連合西日本空手道選手権大会において団体、個人共に完勝 以来各県の大会において1位 八連勝不敗の記録を保持 |
昭和37年 5月 | 機関誌「拳友時報」を創刊 |
昭和38年10月 | 西日本空手道連盟を結成 |
昭和39年12月 | 宗家 保 勇 が日本の武道家として初めて中国武術界の招待を受け中国を訪問 広州、長沙、武漢、北京、西安、など中国武術各派と交流する。 |
昭和42年 8月 | 第1回少林寺流全国空手道選手権大会を草生の地鹿児島市にて開催 |
昭和43年10月 | 第1回全国都道府県空手道選手権大会に各県各流派のすべてをを制覇し優勝 |
昭和46年 4月 | 中華体育協会(台湾)の招待により台湾各地で指導普及にあたる。 |
昭和49年10月 | 宗家 保 勇 師範会議の満場一致により10段 範士を授与 |
昭和50年11月 | 空手の本場 沖縄にて第14回西日本大会を開催 |
昭和56年10月 | 保 巖 2代目宗家がドミニカ共和国で空手指導大きく国際化へ乗り出す。 |
昭和57年 7月 | 中華民国 錬心舘と交流 |
昭和58年 5月 | 錬心舘 嵩山 少林寺にて模範演武 少林武術体育校と交流 |
昭和60年 7月 | 30周年記念大会を鹿児島市にて開催 「昭和の拳聖 保 勇」が完成 |
昭和61年12月 | 中国河南省武術訪日団が錬心舘一門と交流。 嵩山少林寺第33代法師 永寿師と宗家 保 勇日中少林寺の盟約を交す。 |
昭和62年10月 | 新防具の開発 |
昭和62年11月 | 保 巖 2代目宗家が米国加州を始め全米に指導普及 |
昭和63年10月 | 錬心舘の多年にわたる青少年教育活動に対し文部大臣表彰を受ける。 |
平成 2年 5月 | 錬心舘 USA が正式に発足 |
平成 7年 8月 | 錬心舘40周年記念 第28回全国選手権大会を開催 |
平成 7年10月 | 宗家 保 勇 夫妻 空手家として始めて天皇皇后陛下のお招きにより秋の園遊会に出席 天皇陛下よりお言葉を賜わる。 |
平成 7年11月 | 読売新聞が宗家の半生描いた「徒手空拳の人生」を連載。 |
平成 8年 6月 | フィンランド錬心舘の招きにより保 巖 2代目宗家が指導普及 |
平成 9年 2月 | インド錬心舘の招きにより保 巖 2代目宗家が指導普及帰国後インドに空手着を送る運動を展開する。 |
平成10年 2月 | 保 巖 2代目宗家がフィリピンに30年ぶりに指導普及 |
平成10年11月 | 少林寺流錬心舘研修道場「武学舎」完成 |
平成12年 4月 | 開祖 保勇十段範士、勲四等瑞宝章を受章 |
平成12年 5月 | 開祖 保勇十段範士、天龍となる(逝去) |
平成12年 5月 | 保巖、宗家十段範士を襲名 |
平成12年 7月 | 創立45周年、追悼33回全国空手道選手権大会を鹿児島アリーナにおいて開催 |
平成12年11月 | 総本山に白龍堂並びに拳魂之像を建立 |
平成13年 4月 | インド錬心舘の招聘により、保巖二代目宗家指導にあたる |
平成13年 5月 | 創始宗家1周忌、総本山にて行われる |
平成13年 8月 | 宗家保巖、鹿児島県体育功労賞を受賞 第34回全国空手道選手権大会を首都東京にて開催 宗家保巖、小泉首相を官邸に表敬訪問 |
平成13年 9月 | 錬心舘USAの招聘により保巖二代目宗家、フロリダ指導にあたる |
平成14年 2月 | パナマ錬心舘の招聘により保巖二代目宗家、指導にあたる |
平成14年 | 「徒手空拳」人間・保 勇刊行(保サチエ著) |
平成16年 | インドボンベイにおいて恵まれない子供達に対し、スポーツ活動、教育、医療等への支援を行う財団法人イワオ・タモツ・ファンデーション・インターナショナル(保 巖国際基金)を設立 |
平成17年 7月 | 錬心舘創立50周年記念第一回国際親善空手道選手権大会開催 第一回少林寺流インターナショナルセミナー開催 |
平成17年11月 | 創立50周年「魂の演武会」開催に合わせ全国各地で災害チャリティ演武会を開催 |
平成18年11月 | 第2回「魂・こころ」のチャリティ演武会開催 |